IKIF 石田木船映像工場

HISTORY

2015.09.01

IKIFの歩み1

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IKIF以前の作品です。

ほぼIKIFは大学時代の作品。

石田は都立芸術高校油絵コースに在籍していた時に、アニメ研を作り
アニメーションは素人だったので「東京ムービー」にアニメーションの作り方を聞きに行って、
アニメは止めときなというアドバイスとセルとか色々もらってきたそうです。(大塚康生さんのサインとかも)
同期に船田雅子(のちにサンリオのアニメーター)さんがいて、ひとつ下に桜玉吉さんがいたそうです。
そのアニメ研時代に制作したのが「猿土」(えんど)です。同級生の船田さんたちが制作した「小梅ちゃん』や
文化祭用に制作したCM作品は発掘しまいたが、「猿土」は行方不明なので今後上映することはないでしょう。

東京造形大学のVD(ビジュアルデザイン)に入学して(渡部隆を中心とした)同期の人たちと、
VD漫画集団を結成しCS祭(造形の学園祭)向けて同人誌を作って販売をしたそうです。
それを買いに来たのが同期の絵画専攻にいた渡辺純夫さんだったそうです。

1年後一浪して木船が絵画専攻に入学し、VD漫画集団から漫画研究会に変わった漫研に入部しました。
漫研では漫研のイベントとしてカナダ大使館からフィルムを借りてNFBの上映会を学内でやったりしていました。
石田と渡辺さんに連れられて漫研の一部がアニドウの上映会にいくようになり、
石田園子、木船徳光、渡部隆、渡辺純夫が中心となってアニメーション研究会を設立し、初代部長を石田にして、
アニメ研として様々な所からアニメーションフィルムを借りてきて学内上映をやるようになりました。
そこにやってきたのが小出正志さんでした。
彼から神田昭夫先生がアニメマニアだという情報が伝わり、アニメ研の顧問になってもらいました。

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B4が印刷できるプリントゴッコを買ったので、それで上映会のチラシを刷って配っていいました。
神田先生に見せてもらった、日本初のアニメ同人誌「ファンアンドファンシーフリー」がガリ版印刷だったので、
それに憧れたのかもしれません。
ぼけた私の向こうに写っているのが神田先生ですが、この写真の時に
先生が学生時代に作っていたその同人誌を見せてもらってみんなで興奮したような記憶があります。
森卓也さんや、おかだえみこさん、神田先生と大学の同級生だった和田誠さんも参加している同人誌で、
書かれている記事がその後のその方たちのやっていることとの関連性がとても強くて、
人は変わらないのだなあと驚いたものでした。

手分けして版下は書いたのですが、一番神田先生に似ていたのは渡部の書く字でした。
この号は渡部の字だと思います。
小さくてよく読めないかもしれませんが、印刷 トクミツ出版と書いてあります。
この時期写真の引き伸ばし機も買ったので、TKフォトスタジオとも名のっていました。
K image factoryという名前もありました。

アニメーションの上映会を見に行くから、フィルムを借りて上映会を開く、になって次に自分たちで制作するになって
スタジオZACという名前で木船、石田、渡部、高橋、平田、他でグループを作り「CUBE」という作品を作りました。
あまりうまくいかなかったので、木船と石田でその素材を使ってリメイクもしまいたが、それもうまくいかなかった思い出があります。
「CUBE」は今後上映する予定はありません。

大学の課題もなんとかアニメーションに関連した物にしていて、「絵本」の授業課題で驚き盤を制作し、
それをフィルムで撮影したものが「くるくる絵本」です。石田の実家に集まってみんなで撮影しました。

「automatic_clean_system」は西八王子にあった木船の下宿が散らかっていたので、それが自動的に片付いていくというコマ撮り作品です。
ヒゲが自動的になくなるというシーンが最後にありました。
これも今後上映する予定はありません。

 

文章 木船徳光